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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)12125号 判決 1986年7月22日

原告

宗教法人世界基督教統一神霊協会

右代表者代表役員

久保木修巳

右訴訟代理人弁護士

本島信

堀川文孝

奥原唯弘

被告

株式会社小学館

右代表者代表取締役

相賀徹夫

右訴訟代理人弁護士

原秀男

竹下正巳

被告(兼亡村井禎子承継人)

村井資長

被告

亡村井禎子承継人

村井吉和

被告

亡村井禎子承継人

松山恭子

被告

亡村井禎子承継人

池上幸子

被告

亡村井禎子承継人

村井吉敬

被告

亡村井禎子承継人

遠山吉直

右六名訴訟代理人弁護士

今村嗣夫

小池健治

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告に対し、被告株式会社小学館(以下「被告会社」という。)及び被告村井資長(以下「被告資長」という。)は各自金一〇〇〇万円、被告村井吉和、被告松山恭子、被告池上幸子、被告村井吉敬及び被告遠山吉直(右被告五名を、以下「被告吉和ら」という。)は各自金一〇〇万円並びに右各金員に対する昭和五三年九月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告会社は、原告に対し、朝日新聞、毎日新聞及び読売新聞の各全国版朝刊社会面広告欄に、別紙(一)記載の謝罪広告を、二段抜きで、表題、原告及び同被告の氏名を一・五倍明朝体活字、その他を一倍明朝体活字をもつて、各一回掲載せよ。

3  被告会社は、原告に対し、週刊ポスト誌上に、別紙(二)記載の謝罪広告を、二段抜きで、表題、原告及び同被告の氏名を一・五倍明朝体活字、その他を一倍明朝体活字をもつて、一回掲載せよ。

4  被告資長及び被告吉和ら(以下「被告村井ら」という。)は、原告に対し、朝日新聞、毎日新聞及び読売新聞の各全国版朝刊社会面広告欄に、別紙(三)記載の謝罪広告を、二段抜きで、表題、原告及び同被告らの氏名を一・五倍明朝体活字、その他を一倍明朝体活字をもつて、各一回掲載せよ。

5  訴訟費用は被告らの負担とする。

6  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、聖書原理解説の教義を広め、儀式を行い、信者を教化育成するための財務、業務及び事業を行うことを目的とする宗教法人である。

2  被告会社は、雑誌図書の出版を目的とする株式会社である。

3  被告会社は、昭和五三年八月二一日、週刊誌「週刊ポスト」同年九月一日号(以下「本件週刊誌」という。)一五八ページから一六二ページまでの五ページにわたり、「問題摘出レポート第三弾!茶本繁正と本誌取材班」と題して、「『原理』対『反原理』問題で村井・早大総長夫妻が告白!」、「私たちは地獄の底で統一教会の正体を知つた』」との大見出しのもとに次のような内容の記載を含む記事(以下「本件記事」という。)を執筆、掲載して発行し、同誌約八〇万部を全国にわたり頒布した。

すなわち、本文として、本件記事一五八ページ以下には、「『私文書偽造』の疑いが濃厚」との小見出しのもとに、「早稲田大学総長・村井資長氏と禎子夫人は、その文書をみて許しがたい怒りをおぼえた。『まつたく書いたことも、印鑑を押したこともない、明らかな偽造文書です』(同夫妻)村井総長夫妻は、ともに敬けんなクリスチャンである。その夫妻をして憤慨させた文書は『お願い書』と題したタイプ印刷一枚の紙きれだが、″まつ赤なウソ″で塗り固められているという。″私文書偽造″は重大な刑事犯である。やや長くなるが、容疑濃厚とすれば、全文をあえて引用しなければなるまい。」、同一五九ページ五段目には、「『ここに至つては、もはや飛びくる火の粉は払わねばなりません。彼らはウソつきグループですからね。』(村井総長)」との各記載がある。

4  本件記事の本文の右各記載(以下「本件記事部分」という。)は、右見出しと相まつて、一般読者に対し、原告又はその意を受けた者が、右「お願い書」を偽造したとの印象を与えるものであり、原告の名誉を著しく毀損するものである。

5  承継前被告村井禎子(以下「禎子」という。)及び被告資長(右両名を、以下「被告資長ら」という。)は、被告会社取材班の取材に対し、同人らの取材結果に基づいて本件のような記事が週刊ポスト誌上に掲載されることを承知のうえで、禎子が本件記事部分に引用されている「御願い書」と題する書面(以下「本件御願い書」という。)に署名捺印したことはなく、右文書は原告側が偽造したものである旨申し述べ、本件記事は右取材結果に基づいて本件週刊誌に掲載されて同誌が発行された。

6  被告会社は本件記事部分を本件週刊誌上に掲載してこれを発行頒布することにより、また被告資長らは前記取材に対して前記の供述をなし、これに基づく被告会社の右掲載、発行、頒布を介してそれぞれ前記4のとおり原告の名誉を毀損したものであるから、いずれも民法七〇九条に基づきこれによつて原告の被つた損害の賠償、原告の名誉の回復に必要な措置をなすべき責任がある。

7  禎子は本訴提起後の昭和五八年一二月一八日死亡した。被告資長は禎子の夫、被告吉和らはいずれも禎子の子であり、他に禎子の相続人はいない。

8  原告は、被告会社及び被告資長らの右名誉毀損行為により有形無形の損害を被つたものであるところ、右損害を金銭的に評価すれば金一〇〇〇万円を下らない。更に、右名誉毀損の内容、大量の出版物によるという行為の態様からすれば、これによつて原告の社会的名誉が毀損されたことは明らかであるから、右名誉を回復するためには、被告らをして請求の趣旨2ないし4のとおり謝罪広告を掲載させる必要がある。

よつて、原告は、不法行為による損害賠償請求権に基づき、被告会社に対し、請求の趣旨2、3記載の各謝罪広告の掲載並びに金一〇〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である昭和五三年九月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、被告村井ら各自に対し、請求の趣旨4記載の謝罪広告の掲載並びに被告資長については金一〇〇〇万円、被告吉和らについてはそれぞれ金一〇〇万円及び右各金員に対する不法行為の後である昭和五三年九月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告村井ら)

1 請求原因1の事実のうち、原告が宗教法人であることは認めるが、その余は知らない。

2 同2の事実は知らない。

3 同3の事実のうち、本件週刊誌に本件記事が掲載されていることは認めるが、その余は知らない。

4 同4の事実は否認する。

5 同5の事実中、被告資長及び禎子が、被告会社取材班の取材に対し、禎子が本件御願い書に署名捺印したことはない旨を申し述べたことは認めるが、その余は否認する。

6 同6は争う。

7 同7の事実は認める。

8 同8の事実は否認する。

(被告会社)

1 請求原因1の事実のうち、原告が宗教法人であることは認めるが、その余は知らない。

2 同2、3(本件週刊誌の頒布部数を除く。)の事実は認める。

3 同4の事実は否認する。

(一) 本件記事部分は、一般読者に対し、原告又はその意を受けた者が本件御願い書を偽造したとの印象を与えるものではない。

(1) 本件記事は、原告及びその下部団体である原理研究会(以下「原理研」という。)の、主として教育関係における活動を報道することを目的として週刊ポスト誌上に連載されたシリーズの第三回の記事であり、その主題は、被告資長、禎子夫妻が、川口記念伊豆セミナーハウス(以下「本件セミナーハウス」という。)建設をめぐつて原理研から長年の間に受けた苦しみを公表したことを報道するものであり、本件御願い書の偽造問題は、記事全体のなかでみれば、導入にすぎないものである。

(2) 原告引用の大見出しは右主題を端的に表現したものであつて、本件御願い書の偽造に関するものではなく、また、原告引用の小見出しは右偽造に関するものであるが、小見出しは、当該段落の導入の役割をなすものであり、右段落は、被告資長、禎子が本件御願い書を偽造文書であるとしてこれに憤慨していることを掲載しているにすぎないうえ、本件記事一六一ページには、原告引用の前記小見出しと同一の大きさで、「″偽造″については全面否定」との小見出しをもうけ、同一六二ページ二段目に、「統一教会側はこれを『偽造ではない』と全面否定。」、同四段目に「『村井総長夫妻、川口サトさんが教会に″献上″を願い出たから、われわれは止むを得ず買い上げた』という統一教会側の言い分」などと記載して、原告の意見をも掲載し、もつて原告と被告資長、禎子夫妻間に意見の対立があることを明記しているのである。

(3) 従つて、本件記事の主題、構成及び内容をみれば、これを読んだ一般読者が、本件御願い書は偽造されたかのような印象を持つことはないというべきである。

(二) 仮に本件記事が本件御願い書は偽造されたとの印象を与えるとしても、右記事は偽造主体を原告と指摘しているわけではなく、これによつて原告の名誉が毀損されるような印象を与えるものではない。すなわち、本件記事を通読した読者は、被告資長らは原告と別の組織である原理研に属する学生が文書偽造をしたと非難しているとの事実は認識するであろうが、原告関係者が偽造をした趣旨の非難であるとは受け取らないはずである。まして、右記事から宗教団体である原告の主要人物が偽造行為を行つたとか、原告が組織的に犯罪行為たる文書偽造に関わつていたなどという印象を読者に与えることはありえないというべきである。

4 同6は争う。

5 同8の事実は否認する。

三  抗弁

1  本件記事の内容は、公共の利害に関する事実に係り、被告会社は、専ら公益を図る目的でこれを報道したものである。

2  本件記事の真実性

禎子は本件御願い書に署名捺印をしておらず、本件記事部分の内容は真実である。

3  仮に本件御願い書の禎子の署名捺印を偽造した者が原告又はその意を受けた原理研関係者でないとしても、被告資長らには右の者が右偽造をしたものと信ずべき相当な理由があつた。

4  被告会社が本件記事部分の内容を真実であると信じたことの相当性

(一) 仮に2が認められないとしても、

(1) 被告会社週刊ポスト編集部(以下「被告会社編集部」という。)は、原告及びその下部団体である原理研の、主として教育関係における活動をシリーズとして週刊ポストに連載することとし、昭和五三年六月ころ、評論家の茶本繁正(以下「茶本」という。)に執筆と取材の助言を依頼するとともに、被告会社編集部のデスクである編集員山本進を指揮者として、その下に同編集部の記者である歳川隆雄(以下「歳川」という。)を班長とし、田島洋(以下「田島」という。)、二木啓孝(以下「二木」という。)らを取材記者とする取材班を編成して、取材を開始した。

(2) 田島は、同年六月二六日、原告の広報担当者である広報企画部長の副島嘉和(以下「副島」という。)に面会して取材を申し入れ、その後原告の活動全般について取材していたが、同年七月二五日に副島らを取材した際、同人らから本件御願い書の写の交付を受けた。

(3) 茶本は、同日及び同年八月一一日の二回にわたり、右写を持参して被告資長及び禎子から本件セミナーハウス建設の経緯等について取材し、その際、同被告らから本件御願い書が偽造であること等本件記事に記載された同被告らの言い分を聴取し、また、二木は、同月一三日、右写を示して川口サト(以下「サト」という。)から取材し、その際、同人から同人が本件御願い書に署名捺印した記憶がない等の回答を得た。

(4) 他方、被告会社編集部は、田島をして、再三にわたり、副島に対して大江益夫(以下「大江」という。)及び井口靖雄(以下「井口」という。)からの取材の申し入れをさせていたが、副島がこれに応ぜず、同月一一日に至つてようやくその承諾を得、その際、具体的な取材の日程については、歳川が翌一二日午前に副島に電話連絡して決定することになつた。そこで、歳川が翌一二日午前に原告方に電話したところ、副島は不在ということで連絡がつかず、その後同年八月一六日まで、歳川及び田島が、再三にわたり、原告方に電話して副島との連絡を取ろうと努力したが、同人からは何らの回答もなく、結局連絡が取れなかつたため、大江及び井口から取材することはできなかつた。

(二) 被告会社編集部は、以上のような取材の経過、内容を踏まえて、本件記事を執筆掲載したものであるから、被告会社が本件記事部分の内容を真実であると信じたことについては相当な理由があつたというべきである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実を認める。

2  同2、3の事実を否認する。

3  同4の事実について、(一)(1)のうち、被告会社編集部が茶本に取材の助言を依頼したことは不知、その余は認める。(一)(2)は認める。(一)(3)は知らない。(一)(4)のうち、副島が昭和五三年八月一一日に大江及び井口が取材に応じるよう努力する旨約したことは認めるが、その余は否認する。副島は、被告会社編集部の取材記者と連絡を取り、同月二一日午後二時に髙村法律事務所において大江及び井口から取材させることを約束していた。しかしながら、同日発行の本件週刊誌上に本件記事が掲載されていたので、副島は、被告会社編集部に対して右取材の申し入れを拒絶したものである。(二)は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1の事実のうち、原告が宗教法人であることは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、原告が聖書原理解説の教義を広め、儀式を行い、信者を教化育成するための財務・業務及び事業を行うことを目的としていることが認められる。

二弁論の全趣旨によれば、同2の事実が認められる(右事実は原告と被告会社との間では争いがない。)。

三同3の事実のうち、本件週刊誌上に本件記事が掲載されていることは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、被告会社が、昭和五三年八月二一日に本件週刊誌を発行し、全国にわたり約八〇万部を頒布したことが認められる(右事実の前半は原告と被告会社との間では争いがなく、後半は被告会社において明らかに争わない。)。

四原告は、本件記事部分が、一般読者に対し、原告又はその意を受けた者が本件御願い書を偽造したとの印象を与え、原告の名誉を著しく毀損する旨主張するので、以下この点について判断する。

1 前記三で確定した事実に、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  被告会社は、原告及びその下部団体の学生組織である原理研の主として教育関係における活動を報道することを目的として、週刊ポスト誌上に「問題摘出レポート 茶本繁正と本誌取材班」と題する記事をシリーズで四回にわたり連載した。本件記事は、その第三回目の記事である。

(二) 本件記事は、本件週刊誌の一五八ページから一五九ページの二ページにわたり上段一杯に横書で「『原理』対『反原理』問題で村井・早大総長夫妻が告白!」との大見出しを、その大見出しの中央右下に縦書で「『私たちは地獄の底で統一教会の正体を知つた』『募金で建設した川口記念セミナーハウスがいつの間にか統一教会の修練場になつていた』という怪事件の問題点をえぐる」との見出しを、前記大見出しの右下に「原理研の跳梁のキッカケとなつた早大・川口記念セミナーハウス事件――。事件後、六年目にして″命がけの沈黙″を破つて、村井早大総長夫妻が『社会を滅ぼす火種の撲滅を』と初めて明かした衝撃の告発。原理研=統一教会の″侵蝕″は社会問題化しているのだ。」というリード部分をそれぞれ掲げ、本文は同誌一五ページ、二段にかけての「『私文書偽造』の疑いが濃厚」との小見出しとそれに続く「早稲田大学総長・村井資長氏と禎子夫人は」以下同一五九ページの「『(略)彼らはウソつきグループですからね。』(村井総長)」までの第一段落、同一五九ページ四、五段にかけての「村井夫人は早大原研の天的」との小見出しとそれに続く「川口セミナーハウスの敷地は」以下同一六〇ページの「『ふつうのキリスト教の研究団体』と信じていたころのことである。」までの第二段落、同一六〇ページ四、五段にかけての「収支決算を報告しない募金」との小見出しとそれに続く「セミナーハウス建設の発起人を」以下同一六一ページの「『(略)最後まで見届けたのもこのためです。』」までの第三段落、同一六一ページ二、三段にかけての「″偽造″については全面否定」との小見出しとそれに続く「騙して利用する」以下同一六二ページ末尾の「″過中″で悩みつづけた六年目の結論である。」までの第四段落からなつている。

(三)  そして、第一段落では、本件記事部分と本件御願い書の全文が記載されている。

また、第二段落では、「川口セミナーハウスの敷地は村井総長個人の所有地だつた。村井夫妻はこうも続ける。『そして建物の建設資金は全国にわたる善意の募金にも負つています。もはや社会問題として事実を明らかにせざるをえません。』」との記載がされ、これに続き、原理研の学生たちが、″川口君リンチ事件″の一二日後に「早大学生新聞会」として母親のサト宅を訪問し、ほぼ一か月後には早大学生の憩いの場としての民宿を建てたいとのサトの話をセミナーハウス建設にまで拡張し、被告資長に要望書を提出させるなどしたこと、禎子がその要請に根負けして話を聞こうとすると、当時全国大学原理研究の会長であつた藤井道雄が乗り込んで″原理″の講義を始め、以後二か月にわたる週一度の講義が終わるころになると、禎子を″原理用語″でモーゼのような重要人物を意味する「天的」にまつりあげたことなどが記載されている。

第三段落では、被告資長夫妻が、セミナーハウス建設については大学とは無関係の″個人協力″として、広く一般に開放する公的施設にする趣旨で韮山の個人資産(土地)を提供したことを論じたうえ、「ところが、いざ建設の発起人の選定となると、原理研側が出してきた人数は六人。サトさんと村井夫人を除く四人は、全部″原理関係者″だつた。(中略)一方、村井夫妻が示した早大元総長の大浜信泉、阿部賢一の両夫人の名は、″原理研側″がかたくなに拒否するありさまだつた。」旨の記載がされ、これに続き、サトが大学からの見舞金六〇〇万円を建設資金として提供することになつており、禎子は当時の早大・神沢学生担当理事からサトへの協力を要請されていたこと、夏休み(昭和四八年)に入つて″原理研″の学生たちが全国にわたつてセミナーハウス建設のための街頭募金活動を展開し、金四二〇〇万円の募金が寄せられたことから、禎子がその完成に使命感を感じたことが記載されている。

第四段落では、「騙して利用する――募金活動には、こういうインチキもあつた。」として、早大原理研系の新聞である『早稲田学生新聞』に「セミナーハウス建設の賛同者名」として並べられた衆参両議員一一名、弁護士二二名の一部に、取材班が当たつてみると、勝手に名前を出した等の回答が返つてきたことを掲げ、これに続き、「昨年10月、村井夫妻は川口記念セミナーハウスが、統一教会の『信者修行所』として登記されているのを知つて、ガクゼンとした、という。川口セミナーハウスは、(中略)その建物の総工費は約六千万円、そのうち四千二百万円が先述のように善意の募金によるものだ。残額を統一教会が負担したとはいえ、これでは″サギ″といわれても仕方がない。この間、サトさんは『信者になれ』と強要され、村井夫人もまた『献身(布教専従者になること)せよ』と迫られた、という。(中略)結局、川口、村井、原理研=統一教会の三者のあいだでそれぞれに弁護士が立ち、村井総長の土地は安い値段で統一教会の手中に帰した。これが昨年12月の″和解″である。だが″偽造文書″はそのあとにでてきた。統一教会側はこれを『偽造ではない』と全面否定。」としたうえで、「だが、この『お願い書』に署名、捺印した記憶がないのは、村井夫人だけではない。」とし、「川口サトさんは、(中略)『お願い書』について次のように語つた。『署名、捺印については、息子の正人も覚えがないといつているし、正人の字じやありません。捺印も私の実印とは違うものです。思い出すために、″本物″を見せてくれるように弁護士を通じて(教会に)何回も頼んだんです。でも、結局見せてくれませんでした』」との記載があり、さらに、「『村井総長夫妻、川口サトさんが教会に″献上″を願い出たから、われわれは止むを得ず買い上げた』という統一教会側の言い分は『お願い書』の署名、捺印が偽造であるか、否かは別としてもほとんどの関係者を取材してみた本誌取材班には″説得力″をもたなかつた。」と記され、最後に、「一時は原理研=統一教会に″天的″扱いされた村井夫人。『私も六年間、いろいろと考えいろいろと経験してみて、そして行くところまで行つてみて悟つたことは、この統一教会は、この地上から″蒸発″してもらう以外に、救いの方法はない』″過中″で悩みつづけた六年目の結論である。」と結んでいる。

2  右認定した事実によると、確かに、本件記事は、被告資長、禎子夫妻が、本件セミナーハウス建設をめぐつて原理研から長年の間に受けた苦しみを公表したことを主たる内容とするものであり、掲記の大見出しも右内容を端的に表現したにとどまること、本件記事部分ももつぱら被告資長らの言い分として掲載しているものであること、第四段落では、「偽造については全面否定」との小見出しのもとに本件御願い書偽造を否定する原告側の言い分も登載していること、同段落中には「『お願い書』の署名、捺印が偽造であるか、否かは別としても」との断り書も存することが認められる。しかしながら、前記認定に係る本件記事の構成、内容に鑑みれば、「『原理』対『反原理』問題で村井・早大総長夫妻が告白!」「私たちは地獄の底で統一教会の正体を知つた」との大見出しは、直接には本件御願い書の偽造問題を指すものでないにしても、その各表現自体が読者の注意と興味をひくものであるから、これに続きまず、「『私文書偽造』の疑いが濃厚」との小見出しのもとに本文冒頭で本件記事部分を読む読者としては、同部分がもつぱら被告資長らの言い分として掲載されているにかかわらず、本件御願い書が偽造されたものではないかとの疑いを強く持つことは避けられないところであり、さらに読者は「原理研=(統一)教会」という表現(リード部分及び第四段落末尾)に見られるように、原理研を原告と一体の組織とする前提のもとに、関係者及び関係資料の取材結果に被告資長、禎子の談話を折り混ぜる形式で、本件セミナーハウスは、川口事件の機会を捉えて、原理研が強引に禎子に取り入り、同ハウス建設委員会の発起人の選定等で主導権を握る一方、不明朗な方法で募金活動を展開し、総長夫人の立場にある禎子を利用しながらその建設を進め終局的にはこれを安価な値段で原告の所有に帰属せしめた趣旨の経過を記述した第二ないし第四段落を読むことによつて、本件御願い書が右過程の中で原告又はこれと一体の組織である原理研の関係者によつて偽造された蓋然性が大きいとの印象を強めに至るのが自然であると認めることができる(第四段落の「偽造については全面否定」との小見出し及び原告側の言い分も、その構成、内容に照らすと、被告会社の弁明にもかかわらず、むしろ読者の右印象を強めるものといわなければならない。)。

したがつて、本件記事部分は、他の部分と相まつて、原告が本件御願い書の偽造という不正行為に積極的に関与していたとの印象を読者に強く与えるものというべきであるから、原告の名誉を毀損するものといわなければならない。

被告会社は、本件記事は右偽造の主体を原告と指摘しているわけでなく、これによつて原告の名誉が毀損されるような印象を与えるものではないと主張する。しかしながら、ある記事が、法人を含めて特定の社会組織につき、当該組織に属する者が右組織のため文書を偽造し、右組織は右行為による結果を利用ないし享受しているという内容のものであるとすれば、右の行為者が必ずしも右組織の代表者又は責任ある地位の者でないとしても、右記事は、右の者は右組織の意を受けて右偽造を行つたとの印象(裏返せば、前段のとおり、右組織は右偽造に積極的に関与しているという印象)を読者に与え、右組織が社会活動をするうえでその信用を失わせる結果をもたらすことは世上一般に経験するところである。そして、本件記事が原理研を原告と一体の組織とするその前提と相まつて右の場合に該当することは前段で判示したところから明らかであるから、被告会社の右主張は採用できない。

五<証拠>を総合すれば、請求原因5の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない(右事実中、被告資長らが、被告会社取材班の取材に対し、禎子が本件御願い書に署名捺印したことはない旨申し述べたことは、原告と被告村井らとの間では争いがない。)。

六進んで、被告らの抗弁について判断する。

1  本件記事の内容が、公共の利害に関する事実に係り、被告会社は専ら公益を図る目的でこれを報道したものであることは当事者間に争いがない。

2  そこで次に、本件御願い書中禎子作成名義部分の成立の真否につき審究する。

(一)  禎子本人は、本件御願い書に署名捺印した覚えはない旨供述し、そして同本人尋問の結果によれば、本件御願い書中の禎子名下の印影は禎子の印章によつて顕出されたものではないことを、また、弁論の全趣旨により成立の認められる乙第一六号証の一(戸谷富之の鑑定書。以下この鑑定を「戸谷鑑定」という。)及び丙第八号証の一、二(金丸吉雄の鑑定書。以下この鑑定を「金丸鑑定」という。)によれば、右署名は禎子の筆跡ではないことをそれぞれ認めることができる。

(二)  甲第七号証の一、二(町田欣一の鑑定書。以下この鑑定を「町田鑑定」という。)及び甲第一一号証の一(狩田義次の鑑定書。以下この鑑定を「狩田鑑定」という。)は、本件御願い書中の禎子の署名が禎子の筆跡であることを肯定して、前記のとおりこれを否定する戸谷鑑定及び金丸鑑定と対立する。

しかしながら<証拠>によれば、町田鑑定は、対象となる文字の字画形態、字画構成の各特徴を比較対照し、対照特徴総数に対する同一特徴数の割合に応じて筆跡の異同を判別する手法をその基本とするところ、本件で見る限り、前記各特徴の抽出基準が必ずしも明確でなく、客観性を欠いており、前記同一特徴数の割合も七〇パーセント以上であれば同一筆跡、それ未満(ただし、六〇パーセント以上)のときは配字形態、書字速度、筆圧の特徴の異同を参考にして同一筆跡又は異同不明という一般的基準をたてながら、本件鑑定では、右割合が計算上七〇パーセントに満たないものを約七〇パーセントとして同一筆跡と判定しており(甲第一、第二号証のそれぞれと甲第五、第六号証との対照結果)、その判定結果も自らたてた基準からさえ逸脱した、厳密性を欠くものであることを認めることができる。

また、<証拠>によれば、狩田鑑定は、基本的には、字画形態、字画構成の特徴の比較により異同を判別するという町田鑑定と同じ手法をとつており、各特徴の内容及び対照資料との異同については一応の説明がなされているものの、それらの各特徴が似ていれば何故筆跡が同一と言えるのかの根拠を欠いていることが認められ、<証拠>に経験則を合わせ考慮すれば、同一人の筆跡でも時、場合、筆記具、用紙等により別異に見えることがあり、他方、字とは標準化された記号であることから、別人でも非常に似た字を書く可能性は否定できないことが認められることに鑑みれば、その結論が十分な説得力を有するものとは認め難い。

これに対して、<証拠>によれば、戸谷鑑定は、一般にあまり見られないその人固有の筆跡特徴(希少性)及びその発現頻度(常同性)に着目し、本件御願い書の禎子の署名の真否の判別に当たつて、禎子の自筆文字のみならず、被告資長及び禎子宛の年賀状一六九葉をも対照文書として用い、筆跡の一般的検査及び数理統計学的処理によつて被検筆跡から希少性、常同性を有する特徴を抽出して禎子の筆跡と比較検討し、その結果本件御願い書の禎子の署名の筆跡には、字画構成、筆圧、筆順などに右の観点からする特徴が見られ、対照文書による禎子自身の筆跡とは明確に異なるとの結論をとるものであることが認められ、戸谷鑑定には町田鑑定及び狩田鑑定について指摘した方法論上の欠点が見られず、前者は後二者に比較すれば信用性が高いものと認められる。

他方、<証拠>によれば、金丸鑑定は、書家としての観点を基本とし、筆跡リズム及び筆跡情感を筆跡文字の構成要素として捉えて、これらを本件御願い書の禎子の署名の筆跡と対照文書中の同人の自筆の筆跡につき検討し、両者は造形上では類似タイプであるが、前者の筆跡文字組成の呼吸は、ツケ・トメが意識的で、西洋音楽の音階的であり、建築的でもあるのに対して、後者のそれは、ツケ・トメが無意識的であり、流動的で柔軟であり、民謡音階的でもあること、また、筆跡情感について、前者は強烈、剛直、豪毅であり、知性的、論理的であり、男性的であるのに対して、後者は、柔軟、温雅、穏健、淡泊、流暢であり、情趣的、叙情的であり、女性的であることから、両者は文字の構成要素を異にし、同一筆跡とは認められないとするものであることが認められる。同鑑定は、数量的な客観性は有しないものの、被検筆跡と対照筆跡との特徴の単なる相対的異同ではなく、各筆跡それ自体の具備する筆跡文字組成上の特徴が別個であることを判別の根拠とするもので、狩田鑑定のような欠点は免れており、その摘示する点も各筆跡についての吾人の常識的観察に一致するものと言える。

以上各鑑定の方法、内容の比較検討の結果によれば、町田鑑定及び狩田鑑定は、戸谷鑑定及び金丸鑑定に照らして採用し難い。

(三)  証人大江益夫、同井口靖雄、同藤井美雄、同川口正人は、禎子が昭和五一年四月二七日本件セミナーハウスにおいて自ら本件御願い書に署名した旨証言し、甲第八号証、第三六号証中にも同趣旨の記載があり、証人川口サトの証言中にも一部これに沿う部分がある。しかしながら、右各証言、記載は、各筆跡鑑定の信用性についての検討結果を別としても、以下に述べるとおり措信できない。

① 証人大江益夫、同井口靖雄、同藤井美雄は、右日時場所において、先ず甲第二号証にサト、禎子、藤井美雄(以下「藤井」という。)、大江、川口正人(以下「正人」という。)、井口が順次署名したが、禎子及び藤井がペン先を用紙に引つかけて穴をあけてしまつたため、別の用紙に同じ順序で署名しなおして本件御願い書(甲第一号証)を作成し、次いで覚書と題する書面(甲第三号証。以下「本件覚書」という。)にサト、禎子が順次署名捺印し(禎子は資長名で)、その後続いて河野炳に寄贈するパネル(甲第三七号証)に前記六名が署名した旨証言する。

確かに、甲第一、第二号証は、右六名の署名捺印(甲第二号証は、署名のみ)があり、その各記載位置は、右証言に沿うかのように見える。しかしながら、本件覚書のサト名下の印影が同人の実印によることは右各証人の証言によつて明らかであり、他方甲第一号証を見ると、本件御願い書のサト名下の印影は右実印によるものではなく、かつ右印影は正人名下にも顕出されているのであるが、その場に実印がありながら前者に劣らない重要性を有するはずの本件御願い書にこれを使用しなかつたこと及びこれを使用しないで敢えてサトと正人が同一の印章を用いたことについては何ら合理的な理由が認められないこと、証人川口サトの証言によれば、同人は本件覚書及び前記パネルへの署名については鮮明に記憶しているのに、本件御願い書への署名についてはその記憶は曖昧で、冒頭の証人大江益夫らの各証言のような説明を聞くとそのような事実があつたような気がするという程度であつて、右各証言のような経過で前記各文書が作成されたのであれば、本件御願い書についてのサトの右のような記憶状態は不可解であることに照らせば、本件御願い書が本件覚書と同一機会に作成されたと見るには不自然である。

② 証人川口サト、同村井瑛子、同二木啓孝の各証言によれば、昭和五二年一月ころから村井側の代理人として本件セミナーハウスの扱いについて原告との折衝に当たつた村井瑛子弁護士は、そのころ及び同年三月ころの二回にわたつて禎子に対し本件御願い書に署名捺印したかどうか尋ねたところ禎子はいずれもこれを否定し、その都度サトに架電して右署名捺印の事実の有無を確認していること、サトはこれに対していずれも署名捺印した記憶はない旨回答しており、更にサトは、昭和五三年八月本件記事のために取材に赴いた二木啓孝に対しても本件覚書の自己の署名捺印については記憶があるが本件御願い書に署名捺印した覚えはなく、同書中の禎子の署名も違うようである旨話していたことを認めることができる。

③ 証人川口正人の証言並びにこれにより成立の認められる甲第八号証及び第三六号証によれば、正人は、昭和五三年九月一一日、大江の求めに応じて、本件御願い書につき同人の署名捺印は自分でしたもので、その印章は現在も所持している旨記載した証明書に捺印してこれを大江に交付し、その後昭和五七年五月二日になつて、本件御願い書の同人名下の印影は当時サトが認め印として使用していた印章によるもので、これを自分とサトのいずれが押捺したかはつきりとは覚えていない旨訂正していること、右記憶違いは本件御願い書のサト及び正人名下の印影が正人の印章による印影と似ていたからという理由によることを認めることができ、更に、同証人は、右捺印は自分がした旨証言している。しかしながら、記憶の正確性を証する記載であるはずの使用印章について右のような記憶違いをしている事実はそれ自体正人が確たる記憶に基づかずに前記証明書に捺印したことを物語つていること、捺印者についての記憶も二転三転していることも同人の記憶の曖昧さを窺わせること、証人川口サト、同川口正人の各証言によれば、サトは前記②の禎子からの確認の際、正人に対しても本件御願い書への署名捺印の有無を確かめたが、同人はこれを否定していたものであることが認められることに鑑みれば、本件御願い書の作成に関する証人川口正人の証言及び前記甲号各証の記載の信用性には疑問が残る。

④ 右①ないし③の諸点に照らせば、禎子が昭和五一年四月二七日本件セミナーハウスにおいて本件御願い書に署名した旨の前記各記載、各証言はいずれもたやすく措信できない。

(四)  本件覚書の被告資長の署名捺印が証人大江益夫らの前記証言のとおり禎子によつてなされたものであることは、禎子自身本人尋問で自認しているところ、証人大江益夫、同井口靖雄、同藤井美雄の各証言中には、本件願願い書は本件覚書と共に被告資長の指導に従つて文案を作成したものであり、また、禎子はその当時本件セミナーハウスを原告に献上(無条件で寄進すること)する意思を有しており、この意思に基づいて本件御願い書に署名捺印した旨の部分がある。

そこで、本件覚書作成に至る経緯について見るに、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

① 本件セミナーハウスは、サトの次男川口大三郎の早稲田大学(以下「早大」という。)構内でのリンチ事件による死亡(昭和四七年一一月八日)を契機として、サトの発意に基づき、その建設資金の一部を募金で賄い、被告資長が敷地(の大部分)を提供して建設されたものであるところ、右発意の実現にあたつては、一方で右事件を早大における勢力拡大の機会とすることを意図する原理研の立場からの大江、井口の当時早大総長であつた被告資長に対する強い働きかけと、他方において総長夫人としての立場から個人的にサトの発意に応えようとする禎子の使命感とが原動力となつた。

② 右実現化にあたつて以上の関係者を主体とする建設準備委員会が組織され、更に昭和四八年七月過ぎにはセミナーハウス建設委員会(以下「建設委」という。)が結成されたが、その構成はサト及び禎子以外は藤井(委員長)、大江(事務局長)、井口他二名の原理研関係者で占められた。

③ しかして、全国大学原理研究会の協力を得て進められた募金活動で得られた約金四二〇〇万円を主たる資金として本件セミナーハウスは、その建設地が当初予定の大磯から韮山に変更になつたものの、昭和五〇年六月二〇日完成した。なお、右建設にあたつては、次に述べるように未だ財団が設立されていなかつたため、原理研の上部団体である原告名で建築確認の手続をし、また建築の資金不足分(金二五〇〇万円)その他の設備資金(約金一〇〇〇万円)は原告からの借入れによつた。

④ ところで、被告資長は、敷地の提供にあたつて、建設されたセミナーハウスは新たに設立する財団法人に帰属させ、その管理運営も右財団による構想を立て、禎子もこれに同調し、建設委も右構想を受け入れていたが、本件セミナーハウス完成後も右財団の設立の手続きは進まず、かえって昭和五〇年一二月ころまでには、規模、目的の点で右設立が困難な見通しとなつた。

⑤ このような中で、建設委は打開策として本件セミナーハウスの管理運営を原告に委ねる方針を打ち出し、昭和五一年三月一八日ころ、大江、井口において、これを原告に帰属させて、その運営の面倒を見て欲しい旨の内容の要望書(甲第九号証)をサトに作成させたうえ(被告資長も同様の書面を作成していると偽つて作成させたものである。)、その二、三日後、被告資長に右書面の写しを提示して本件セミナーハウスの敷地の所有名義人として同様の書面を提出するよう求めた。

⑥ これに対して、被告資長は、完成した本件セミナーハウスの運営主体が明確でないまま放置されるのは好ましくなく、現段階では原告にこれを帰属させてその管理運営を委ねることはやむをえないと考え、その場合原告への帰属についてはその期限あるいは条件について煮詰める必要があり、被告資長名義の敷地についても別途利用関係についての契約書を作成すべきであること等を藤井に指摘し、同年四月中旬ころ大江の作成した本件覚書の草稿を藤井が持参したのに対し、第二項に「別紙村井資長と教会との契約書に基づき」との文言を挿入し、更に、「本セミナーハウスは、故川口大三郎君を祈念して暴力を排除し、平和な社会を建設するため、学生、生徒だけでなく、広く一般社会にも場を提供することを目的とするものである。この目的が変更される場合には、三者(原告、被告資長及びサト)間で協議し、その合意によらなければならない。」との一項を追加するよう要求し、これに従つて本件覚書の内容が確定した。

⑦ 禎子は、右⑥の被告資長の意図を熟知しており、かつこれに反する考えを有しなかつたため、大江らから本件覚書への署名を求められた際第二項の別紙契約書が未作成であることを理由に拒もうとしたが、同人らの強い要請を受けて前記のとおり被告資長名で署名するに至つたものである。

以上の事実が認められ、<証拠>中右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らしてたやすく信用し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

上叙認定した本件覚書作成に至る経緯に徴すれば、被告資長は、本件セミナーハウスを原告に帰属させることは了承しても、その帰属はあくまで本件覚書第四項の目的による制約を前提と考えていたことは容易にこれを推認できるのであつて(被告資長本人尋問の結果及びこれにより成立の認められる乙第一一号証によれば、被告資長は、昭和五一年末ころ本件セミナーハウスの運営は原告代表者、禎子及びサトの三者の協議により、右協議が一致しないときは、右三者の関係を解消し、原告は本件セミナーハウスを収去して敷地を被告資長に返還するとの内容の、本件覚書第二項にいう別紙契約書の草稿を作成していることが認められるところ、右事実はこの推認を裏付けるものと見ることができる。)、被告資長の右考えは、本件セミナーハウスを無条件で原告に帰属させることを主たる内容とする本件御願い書とは相容れないものというべきである。更に、証人大江益夫、同藤井美雄の各証言によつても、右大江らは本件御願い書の文案について何ら被告資長に相談しなかつたことが認められる。以上の点に被告資長本人尋問の結果を合わせ比照すれば、証人大江益夫らの前記各証言中前段の部分はたやすく措信できない。

更に、前叙①及び④の事実に、禎子が同⑥、⑦のようにして被告資長の原告への条件付帰属の意向を汲んで成文化された本件覚書に(同被告の名でにせよ)署名していること(なお、証人大江益夫の証言及び承継前被告禎子本人尋問の結果によれば、禎子は当初自分の名で右署名をする意思であつたことが認められる。)、右署名のいきさつ、被告資長、承継前被告禎子各本人尋問の結果によれば、禎子は昭和五一年五月二五日双柿舎において、原告代表者の妻久保啓子らから本件覚書第四項を削除するよう求められたのに対してこれを拒否していることが認められること、禎子は本人尋問において本件セミナーハウスを原告に献納する意思は有しておらず、この点については被告資長と同じ考えでいた旨の供述をしていることを合わせ比照し、かつ禎子が原告の信者となつたというような右献納を宗教的行為として自然なものとする特別の事情を認めるに足りる確たる証拠もないことを考慮すれば、証人大江益夫らの前記各証言中後段の部分もまた措信し難い(なお、甲第四〇号証の二ないし五、第四一号証の二、三(禎子の藤井に宛てた手紙)中には、右証言部分に沿うようにも受け取れる記載があるけれども、右記載は抽象的でその意味は一義的に明確ではなく、これは右各証言部分のような趣旨の記載ではない旨の禎子自身の本人尋問における供述に照らせば、右記載は右各証言部分の信用性を裏付けるものと見ることはできない。)。

(五)  以上(二)ないし(四)で判示したとおり(一)の認定に反する各証拠はいずれも措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。そして、右認定判示したところによれば、本件御願い書中禎子作成名義の部分は、何ら禎子の意思に基づくことなく偽造されたものと認めるのほかない。

3  右偽造が何人によつてなされたかを確定するに足りる証拠はない。しかしながら、被告資長らには右偽造は原理研を含めた原告の組織に属する者が原告の意を受けてなしたという意味で原告側のなしたものと信ずべき相当の理由があつたものと認められる。すなわち、<証拠>を総合すれば、①原告は、昭和五一年六月八日、被告資長との間に本件覚書第二項の契約書が作成されていないにかかわらず、同被告の了解も得ないで、本件セミナーハウスにつき種類を信者修行所として表示の登記を了してしまい、更に昭和五二年一月一五日には原告を所有者とする保存登記を経由したこと、②その後、原告主導の管理運営にサトが馴染めず、本件セミナーハウスから手を引く意向を示し、これを受けて被告資長及び禎子も本件セミナーハウスへの協力関係を解消すべく、村井側の代理人として原告と折衝を始めた村井瑛子弁護士に対し、原告の責任者又は代理人の代わりに大江及び井口が応対し、本件セミナーハウスは本件御願い書によつて原告に献納されており、被告資長らと協議すべき問題は残つていないと主張したこと、③しかしながら、同年一二月一〇日原告、被告資長及びサトによる本件覚書第四項記載の目的の達成が不可能になつたとして、被告資長が本件セミナーハウスの敷地を原告に売り渡すと共に、その運営については被告資長、禎子及びサトと関係なく原告が行うことを内容とする和解契約が締結されて、本件セミナーハウスをめぐる被告資長ら及びサトと原告との関係は一応終止符を打つたのであるが、右和解契約の前後を通じて、本件セミナーハウスをめぐる週刊誌(週刊文春)の取材等に対して原告の広報担当者は本件御願い書を本件セミナーハウスの原告への帰属の正当性の根拠として引合に出したこと、④更に、原告広報担当者は、本件記事のための被告会社の記者による取材に対しても同様の応対をなし、本件御願い書中の禎子の署名の真正を強く主張しつつ、大江及び井口に対する取材には難色を示したこと、以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

上叙認定の事実経過から窺われる原告の本件セミナーハウスについての関わり方、対応の仕方に本件御願い書の内容及び禎子以外の各署名者の構成、既に認定した原告と原理研との関係及び本件覚書作成に至る経緯を合わせ考慮すれば、被告資長らには本件御願い書中禎子の署名部分が前記の意味での原告側によつてなされたと信じたとしても無理からぬところであつて、右のように信じたについて相当の理由があつたものと解するのが相当である。

4 被告資長らに本件御願い書中の禎子の署名が原告側の偽造に係るものと信ずべき相当の理由があるとしても、これから直ちに被告会社にも右の点につき相当な理由があるものと速断することはできない。けだし、本件週刊誌のような不特定の読者に対して多量に頒布される出版物において、真実に反する報道によつて毀損された名誉の回復は事実上著しく困難となるのであるから、右のような出版物を編集発行する者は、事実の報道にあたつては、単に特定の取材源からの情報を鵜呑みにすることなく、可能な限り取材を尽くしてその記事の正確性の確保に努めるべき一般的な注意義務を負つているものというべきであり、とりわけ本件記事のようにそれ自体が特定人(原告)の名誉を毀損するような内容の記事を掲載する場合には、右の点につき一層重い注意義務を負うものというべきだからである。

しかしながら、当裁判所は、本件については、被告会社は右の注意義務を尽くしており、被告会社にも前記のように信ずるについて相当の理由があるものと認める。すなわち、<証拠>を総合すれば、被告会社は昭和五三年六月ころ週刊ポストに原告の特集記事を掲載する企画を立て、取材を開始したこと、同年七月下旬には原告に取材し、その広報担当者から3で認定したような応対を受け、他方被告資長らからは右3で認定した事実及び前記2(三)②、(四)の各事実を話されたこと、同年八月一六日にはサトから取材したが、同人も本件御願い書については記憶がない旨の話であつたこと、一方、被告会社の担当記者は本件御願い書の作成に関与したと思われる大江及び井口の取材を強く求めたが、当初の約束にもかかわらず原告の担当責任者と連絡がつかなかつたため、原告側が取材を拒否したものと判断し本件記事を掲載した本件週刊誌の発行に踏み切つたものであること、以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。前記3の事実経過に上叙の取材経過(単に被告資長らからの取材結果のみによらず、相手方たる原告側の直接的関係者大江、井口からも取材すべく努力し、更に中立的立場にあつたサトからも取材して被告資長らの言い分の裏付けを得たこと)に本件御願い書中禎子の署名は前記金丸鑑定について指摘したように常識的観察によつても本件御願い書中の禎子の署名が筆跡文字組成上の特徴において禎子の自署と別個であると認められることを合わせ考慮すれば、本件御願い書の禎子の署名が前記の意味での原告側によつて偽造されたと被告会社(直接には本件記事の編集者)が信じたとしてもこれについて何らの過失も認められない。すなわち、被告会社には本件記事部分が真実と信じたについて相当の理由があつたものと認められる。

以上によれば、被告会社の抗弁は理由がある。

5 原告は、被告村井らに対する請求においても、被告資長及び禎子の前記行為によつて本件記事が本件週刊誌に掲載されて同誌が発行され、これによつて原告の名誉が毀損されたと主張するものであるから、原告の主張する名誉毀損という結果は、結局のところ被告会社を介しての本件記事の掲載発行によつてもたらされたという主張に帰する。そうとすれば、右記事が公共の利害に関する事実に係り、かつ専ら公益を図る目的で報道されたものである以上、右両名が本件御願い書の禎子の署名が原告側によつて偽造されたものと信ずるについて相当な理由がある限り、右両名も名誉毀損の責任を負ういわれはなく、免責されるものと解するのが相当である。

したがつて、原告の被告村井らに対する請求も失当に帰する。

七結論

以上によると、原告の被告らに対する請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官村重慶一 裁判官信濃孝一 裁判官髙野輝久)

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